絵が下手でも漫画家になれるって話に疑問がわく
「漫画に重要なのは絵ではなく内容だ」という議論がしばしばされます。
私自身「絵より話」ということは否定しません。しかし、だからといって絵を磨かなくていい、とは思いません。
漫画における絵は、話の親和性があるかどうかが重要だと思っています。
「絵」と「話」との『親和性』とは
漫画家は絵で自分の考えている話をえがきます。
話を描こうとしたとき、自分の描ける絵が話にあってないとだめだと思うのです。
たとえば「進撃の巨人」の作者がラブコメをやるのはいくらなんでも無理があると思います。
たとえ本人がどうしてもやりたいと思っても、ラブコメ向きの絵を描けない時点でラブコメ作品をやるべきではないです。
「進撃の巨人」は絵が下手でも漫画家になれたいい例でしょう。しかし、「進撃の巨人」の作者はあーいった話でなければヒットしなかったと思います。
「進撃の巨人」は非常にグロテスクでダークな雰囲気がただよう話です。
登場キャラクターも暗い表情をしていることが多いです。
諫山創は自他共に画力が低い作家さんですが、画力が低くともダークな雰囲気を表現することには成功できています。
画力が低くともなんというか歪な感じは表現できているんですよ。
これが「進撃の巨人」が画力低くともヒットできた理由だと思います。
これが明るいラブコメをやりたいとかいっていたら、成功することはなかったでしょう。
雰囲気さえあえば画力低くともヒットはする
上述のように話の雰囲気があえば、画力低くとも成功はできます。
逆をいえば、話の雰囲気があっていなければ絵が下手だとうまくいかないんですよ。
絵がへたくそすぎて、女の子がかわいくないラブコメなんて見たくないでしょ。たとえ、ラブコメのストーリーが感動できるようなめちゃくちゃいい話であってもね。
絵で台無しにしてしまう可能性が高いわけで。
結局「絵」も「話」も重要 重要度は「話」のほうが高いというだけ
冨樫義博が漫画化志望者に対し「漫画家になりたいなら絵の勉強より話作る勉強しろ」とコメントしたことがあります。
このコメントだけ見ると「絵はさほど重要じゃないから話作りの勉強をしろ」ということを言っているように見えます。
しかしこのコメントをしている冨樫義博の画力は高く、絵の勉強に力をいれていない人間の画力ではありません。
漫画において絵は重要だけど、さらに話作りのほうが重要だ、ということが言いたいんだと思います。
絵の勉強はしなくていいから、話つくりを勉強しろ、とは言っていませんからね。
まとめ
絵は下手でも漫画家になれる、という論調に疑問をいだいたので今回の記事を書きました。
漫画の描き方は人それぞれで、やり方なんて山のようにあると思います。今回書いた内容が誰にも通ずる絶対的に正しいとも思っていません。
あくまで個人的な考え方を述べてみました。